motomocomo
感性の鈍磨していない人が、電車の中の妙に苛立ったせわしない空気や、死んだ目をしている人たちに囲まれていることに、吐き気を伴うような不快感を抱いたとしても何ら不思議はないでしょう。はたして私たちは、そういったことを苦と思わないことを「正常」と呼ぶべきなのでしょうか?
yaruo
勤勉な日本人は「明日、台風が来たら出社できるかなあ、会議できるかなあ」と不安になるが、他の国(アメリカでさえも)は「おし!明日は部屋の掃除するか!」とか「このDVD観るか!」という感じで1ミリも会社に行く気はない。この辺が、年間自殺者3万人の日本人の痛いところである。
yaruo
アメリカ人の知人が「日本の会議は不思議。問題の解決ではなく、相手の意見をねじ伏せる事に全力を出すし人格否定とかまで飛び出すし」って呟いてて、「アメリカは違うんだ。すごい」って言ったら「相手を言葉で攻撃して銃弾が返って来たら怖いからね。日本は平和」と返事が来て期待してた答えと違う。
yaruo
「労働者はもともとサボるもので、それを防ぐのが管理者の仕事だ。つまり俺がサボるのは管理者の怠慢」ぐらいがグローバルスタンダードだと思う
mitaimon

自分は口数が少ないほうだ。

その理由を自分なりに考えてみたことがあって、二つの理由が考えられた。ひとつは「人見知りな性格である」ということ。そしてもうひとつは、

先生がよく「静かにしなさい」と注意するのを見ていた

ということだ。もちろん自分ではなく周りが注意されているのだが。

授業中や全校集会などで私語をしている生徒に対して、先生が「うるさい!」とか「静かに!」と怒ることはよくあることだ。そして、自分は怒られることが大嫌いだった。

怒られないようにするにはどうすればいいか。答えは簡単で、「しゃべらないようにすること」である。

「しゃべったら怒られる。だったら常にしゃべらなければ怒られないんだ」

子供ながらにそのように考えて自分はしゃべらないようにしていたのだけど、それが逆に子供時代の脳に刷り込まれて、基本的に口数の少ない人間になったのではないかと推測している。

つまり、「静かにしなさい」という注意の仕方は、子供をしゃべらない性格にしてしまう恐れがあるのだ。

では先生はどのように注意すればいいのか。それは、

「聞いてください」

である。「聞いてください」と注意すれば、

  • 子供は「どのようにすればきちんと聞けるか」を考え、
  • 「自分がしゃべっていると相手の話が聞こえない」と気づき、
  • 「相手の話を聞くときはしゃべらない」という習慣が身につく

という学習ができるのだ。「静かにしなさい」だけでは、しゃべらなくなっても話を聞いてくれるようになるとは限らないし、「しゃべることは良くないこと」だと刷り込まれる可能性がある。

そのような理由で、子供に「静かにしないさい」と注意するのはダメだと思う。

mitaimon
人が何を考えているか気にするのはやめよう。別に何も考えていない。